「経営者インタビュー」とは、風俗業界の第一線で活躍する風俗店経営者の方々にインタビューをして、その成功の秘訣や経営理念を探っていく企画です。ミドルリッチをターゲットとした高級デリヘル「贅沢なひと時」を中心に経営を行っている浅野氏にお話を伺います。お話をされる様子からもバイタリティーを感じさせる浅野さん、どのような経緯でこの業界へ転身されたのでしょうか。
大学入学を期に憧れの歌舞伎町デビュー
―――浅野さん、この業界への進出は「新宿歌舞伎町」への憧れからだったそうですね。
(浅野氏)僕は大学へ入学するきっかけで上京をしたんですけど、高校生の頃「殺し屋イチ」っていう漫画を読んで、椎名林檎を聞いて「歌舞伎町ってハンパねえじゃん、絶対働いてみたいんだけど」って思っていて、上京をきっかけに益々歌舞伎町という街に興味を持ったんです。大学2年くらいから水商売、飲み屋さんからスタートですね。そこでちょっと風俗で働いているキャストさん達と関わるようなって。その後もう1回再受験をして、今度は勉強をしようと思っていたんでけど、そこからスカウトマンになるんですよね。そこから雇われ代表になって、独立して。2回目の学生の時に既に起業はしていたんですね。その流れの中でガールズバーを出し、友人の誘いもあってデリヘルもやりだしたんです。「殺し屋イチ」を読むとそうなっちゃいますよね。(笑)
―――その頃の歌舞伎町って、やはり「そういう場所」でしたよね
(浅野氏)そうです、そうです。ある時「ヤ〇ザマンション」に行ってみて~なぁってなって最終的に「ヤ〇ザマンション」に住んでいる未成年の風俗嬢と仲良くなって、どうしても行ってみたいから連れていってくれへんかと。連れて行ってもらって、ゴミ捨て場に3ヶ国語ぐらいのルール説明が書かれていたりとか、ポストが全部壊されていたりとか。歌舞伎町のど真ん中、15年前ぐらいですかね。歌舞伎町って、今はとっても健全な街です。今起業している人たちって、例えばそういった「怖い人たち」の存在とかを意識せずに商売ができる環境ですけど、15年前は…。当時、僕はデリヘルとかは経営していなかったんで直接的な関係はなかったんですけど、やっぱりそういう人たちの存在感は今よりも強かったです。
―――デリヘル経営を行うきっかけは
(浅野氏)歌舞伎町でスカウト会社をやっていた頃に、ホストクラブの経営者の友人がいて。その人が昔デリヘルをやっていて「経営のノウハウはバッチリやからケンちゃんオレに任しといてくれ、一緒にやろう」って言われて、やりだしました。でも彼は全然ノウハウを持っていなくて(笑)。10数年前だったかな、恐ろしい金額が溶けてしまったんです。彼は既に一店舗やっていたんで、そこの事務所を間借りして共同出資でもう1店舗出さないかって言われて「贅沢なひと時」というお店と「ギャルコレ48」という、絶対10年後使えへんやろみたいな名前のお店を彼がやっていたので、一緒に運営をし始めたんです。
―――それが上手くいかなかった
(浅野氏)彼も間違っていたわけじゃないんですけど、トレンドって結構変わってくるんです。彼のやり方って、そのさらに5年前に当たったやり方で、当時は飽和してしまっていた。その結果、かなり地獄みたいな状況になっちゃって。呼吸しているだけで、店から「浅野さん、すいません今日20万円赤字出ました」。自分、何か悪いことしたかな、みたいな。(笑)わかっていなかったんで、女性キャストを保証で結構集めていた。それが一番デカかった。「5万円保証の子が一本も引かずに今日終了しました、あと2人そういう子がいるんで、浅野さん10万円持ってきてもらえないですか」って。
―――壮絶ですね
(浅野氏)数ヶ月だったら心も持ちそうですけど、それが1年半ぐらい続いたので、ちょっと心も財布もボロボロになりました。昔から貯蓄はしっかりする人間で、当時2回目の再受験で私立の医学部に行っていたんですが、途中からその学費も自分で払えるくらいの収入だったし、その前に貯蓄もしていたんです。それでも、これはもう無理かもしれないというところまで行ってしまって。自分はそういうつもりではないのに、当時働いていた人たちから「どうせ浅野さんはお医者さんになるんでしょう、だから店のことはそんな思っていないでしょう」みたいな空気感を感じて「オレ学校辞めてこっち本気でやる」って言ってやりだしたのが、本腰を入れて風俗を経営しだしたきっかけですね。
自分でやってみないと分からないことばかり
―――めちゃくちゃカッコいいじゃないですか
(浅野氏)そういえばカッコいいんですけど、今思えば、リモートというか出資するだけだとどうにもうまくいかせる事が出来なかったというのが大きな理由ですかね。医者を蹴ってそっちを取ったって言うのも、当時は全然学校に行けていなくて、単位も全然足りていなくて、2回ダブったりもしていたんで。もうどっちかに決めないと僕の能力だと両方両立はできない。そういうところは正直ありました。
―――それでもそこから立て直したのは凄いですよね
(浅野氏)経営者がうまくいっていないパターンで多いのが、経営者がその道の経験者に「これってこういうもんですから」とか、「こういうふうにした方がいい」って言われて、比較すべき経験が無いからそうなのかなって思ってしまう。だから本腰を入れて経営をし始めた時には、僕を含めスタッフが2人しかいない状態で内勤としてお店に入った。自分でやってみたらお客様ってこうしてあげたら喜ぶよな、これって必要って言われていたけど無駄だよな、この仕事ってこれだけ時間がかかるって言われていたのが、実際自分でこれだけの時間でできるな、と分かる。そういう現場感があって初めてわかることが非常に多かったんです。
―――そこから快進撃が始まったんですね
(浅野氏)入った初月でド赤字だったのが、1ヶ月毎日15時間ぐらい働いて4万2000円残るようになった。世間的な僕の今の評価って、1ヶ月間休みなしで毎日15時間以上働いて、4万4000円なのか、飯代にもなってない。そこから始まったんで打たれ強くはなりました。これだけ頑張って今月は15万か、みたいな、そういうのを通ってきている。1年やって自分の納得のいく給料が作れなかったらもう店を潰そうと思って始めた。それが今もやっているっていうことは、1年後ぐらいにはそれなりの利益は作れるようになった。月に200万とか赤字が出ているところから自分が入るようになって、4万2000円の利益が残る、いや利益じゃないですけど(笑)、そんなところからのスタートでしたね。
大赤字のお店をなんとか黒字へと転換させるという難題から始まった浅野氏のデリヘル経営、それからは……というお話は次回で伺います。
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贅沢なひと時 浅野氏
プロフィール
「ルールの範囲内で遊んでくださるお客様に、今までで一番楽しかったと感じてもらえるおもてなしを提供する」事をモットーに「ミドルリッチ」をターゲットとした「贅沢なひと時」を経営する。大学入学を期に上京し、学生生活の傍ら憧れの新宿歌舞伎町デビューを果たす。水商売やスカウトマンを経て、友人の誘いでデリヘル経営を始めるも大赤字で危機を迎える。それをきっかけに私立大学医学部を辞め、風俗業界へ本格的に進出し、大赤字の店を1年で黒字に転換させて以降、増収増益を続けている。