(前回のあらすじ)
上野・宇都宮を拠点とするライブチャット店、上野・宇都宮フレイバーを仕切るT氏。明るくてノリの良い方ですが、元々は芸人さんでした。それが紆余曲折を経て業界入りをして、成り行きでオーナーになってしまったそうですが……。
前回の記事はこちら【元会社の上司に導かれて業界入り】
同じ時期に始めた人に負けたくなかった!
―――以前、勤務していた会社の上司が始めたライブチャット会社に入ったものの、立ち上げメンバーが去って…成り行きで現在の上野・宇都宮フレイバーのオーナーになったTさんですが、苦労も多かったと思います。
(T氏)まず、業界を知らなかったことに加えて「やってやるぜ!」という意気込みがあったわけではないので、流れに流されて……という感じですね。この業界のしきたりとか、経営者としての心構えなんて何一つ知りませんでしたから。よく「しょっちゅう風俗で遊んでるでしょ?」とか「毎晩、キャバクラに行ってるでしょ?」と言われます。たぶん、究極の客顔なんですよ(笑)でも、お客さんの経験もほとんど無くて……。
―――意気込みが無かったのに、やり続けてきたモチベーションはどこにありましたか?
(T氏)う~ん……って考えてしまうほど、何も考えずに業界入りしてしまったんですけど(苦笑)そうですね……同時期にライブチャットをやり始めた人には負けないぞ、という気持ちが大きかったのかな?もう15年前のことだから、あまり覚えてないけど。
―――15年前といえば、いろいろなライブチャット会社が誕生した時期でもあります。
(T氏)そんな中で一時期は、ボク自身がバイトをしながらチャット事務所をやらなきゃ……という状況にまでなって。かなり貧乏でしたから(苦笑)それでも同業者の中には儲かっている会社もあって、「俺も一発当てたるか!」という気持ちがあったのは確かです。
結果としてコレしかなかった!
―――流れでTさんが宇都宮店の運営を引き継いだ時、エリア的にライブチャット業界はどのような状況でしたか?
(T氏)都内や都市部に比べたら、認知度はかなり低かったですよね。求人を出しても「なんなの、この仕事?」という感じで思われていましたし、女性が面接に来ても「この業務内容で本当にお金がもらえるんですか?」って、詐欺師のように扱われていましたし(笑)そういう求人面は、けっこうキツかったです。
―――どのジャンルも定着するまでは、そのような感じですよね。
(T氏)それと何よりも…ボク自身が広告というものを理解していなかったんですよ、求人広告も営業広告も。「どうやって、どこに出せばいいんだろう?」というレベルでしたから。結局、つながりのあった広告代理店さんに言われるがまま……みたいな流れでした。だから、苦しかったですよ。
―――それでも続けてきたのは?
(T氏)単に後戻りできんかった(笑)だって、今さらサラリーマンはできないし、会社員という生活には戻れないし……という感じで。結果としてコレ……つまり、ライブチャット業界で生きていくしかなかったんですよ。最初は在籍する女のコも少なくて、1人の女のコで仕事を回すことも珍しくなかったですしね。少ないキャストさんに対して、何かを言って辞められたらどうしようということを考えると、かなり神経がすり減りました。
宇都宮という土地柄もありますが、ライブチャットの認知度が低かったがゆえに、さまざまな苦労をされたT氏。それでもあきらめずに続けた結果、今では地域を代表するお店に成長しました。次回は、運営ポリシーや今後の展望についてお話を伺います。
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『上野・宇都宮フレイバー』 T氏
芸人や雑誌編集・ライターを経て約15年前よりチャット業界に参入。また、3年前からはメンズエステ店もオープン。明るい性格とバイタリティの高さが好評な、業界注目の人物です。
『フレイバーグループ』
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