ピュアハート 澤瀬氏#1【開業資金は驚きの金額で……】

経営者インタビュー

「経営者インタビュー」とはデリヘル経営の体験談を、風俗業界の第一線で活躍する経営者の方にインタビューをする企画です。今回は那須塩原の名店ピュアハートの澤瀬社長です。ピュアハートは15年以上前から那須塩原で営業を続けている、老舗の名店です。都心とは違う地方ならではの地域性や、今に至るまでの経歴をお話しいただきました。

デリヘルを始める前は酪農やったり……

―――澤瀬社長とのお付き合いは1年半ほどになりますが……。

(澤瀬)そうですね、私も現場に復帰して1年経った頃で、『フーコム』さんにはいろいろとお世話になりました(ニッコリ)。

―――あの時は現場に復帰されて1年だったと?

(澤瀬)そうですね。追々お話しすると思いますが、いろいろな出来事があって…私自身が体調を崩してしまって。約4年ほど現場を離れていたもので……。

―――なるほど、そのお話は後程伺わせていただきます。そもそも、澤瀬社長は業界入り前は、どのようなことをされていたのですか?

(澤瀬)高校を卒業してからになりますが、当時私はロカビリー系のカルチャーが好きだったんですね。それで、そのような服のブランドがいくつかありまして。どうしてもそのショップで働きたかったんです。そこで、上京して1年後に念願が叶って2年ほどですかね。働くことができたのですが、その後地元の栃木に戻りまして、母の紹介で酪農の世界へ……。牧場で働いて、乳しぼりをしていました。それはそれで楽しかったですけど……。

―――それは意外過ぎますね!業界に辿り着きそうにないです(笑)

(澤瀬)その後は、これまた親戚の紹介でトレーラーを運転する仕事をしていました。かれこれ7年位かな。それで20年ほど前に宇都宮のピンサロの社長と仲良くなり、その店のホームページを作ったり……。

―――ようやく業界の話になりそうです。

(澤瀬)だけど、このピンサロのホームページ作りをしていた時は、業界に入ろうとは思っていなかったんですよ。それでその後、地元の先輩がデリヘルを始めて、その送迎を手伝ってほしいと。今となって思えば、そこがスタートになりまして。そして今から17年前になりますが、その先輩がデリヘルをたたむことになって、それでは自分が……となったんです。

開業資金は驚きの金額で……

―――ちなみに、当時用意された金額は?

(澤瀬)100万円ですね。

―――え?100万円でのスタートですか?

(澤瀬)まぁ、栃木という場所でしたし、事務所は四畳半と六畳の二間の家賃3万円のアパートでした。それにホームページは自分で作れましたし……あとは、当時は今と違ってビラを作れたもので。それをポスティングするんですよ。毎日、パチンコ屋さんの駐車場に停めてある車のワイパーとフロントガラスの間に挟み込むんです。今だから言えることですが(笑)これが効果がありまして、やればやるほど電話が鳴るんですよ。

―――実はそういうことが一番、広告効果があるんですよね。今となっては無理ですが(苦笑)立ち上げて、どの程度で軌道に乗りましたか?

(澤瀬)3ヶ月位じゃないですかね?3ヶ月でトントンになって、最初の4年はやることなすこと、すべてが上手くいったんですよ。最初のお店を立ち上げてから、次に人妻店を立ち上げています。まず、売り上げが上がるとともに自分の自由になるお金が増えるわけです。月に300万円を使えましたから。高級車に乗って、海外旅行に行ったり、ブランド物のスーツを着て現金つかんで栃木から歌舞伎町まで遊びにいって……。ひたすら物欲を満たしましたね。それほど良い時期でした。なんといっても、最大で那須塩原に5店舗、宇都宮に1店舗の合計6店舗を経営していましたから。

―――それはスゴイですね!

(澤瀬)だけど、そこには落とし穴があったというか……。

澤瀬社長の現在のお人柄を知っていると、物欲を満たす姿がいささか想像できません。それほど実直で謙虚な姿勢が感じられる氏が陥ったのは……。次回は順風満帆に思われた澤瀬社長のデリヘル経営の苦労についてお話を伺います。

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ピュアハート 澤瀬氏

那須塩原で15年以上も前から営業を続けてるピュアハートの澤瀬社長。複数店舗を展開した時期も経て、今ではピュアハートのみに専念し、おしゃれなカフェのような事務所に膨大な広告料で、地域№1のお店を目指している。常に新しいものを取り入れ、さらなる飛躍を目指し「生涯現役」を掲げる社長です

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