「経営者インタビュー」とはデリヘル経営の体験談を、風俗業界の第一線で活躍する経営者の方にインタビューする企画です。今回はI氏です。I氏のお店は東京を代表する老舗の巨乳店として、新宿で長年営業を続けているお店です。本物の巨乳に拘り、お客様・キャスト・従業員にも真面目に向き合い、全力で走り続けるI氏に20年以上営業を続ける名店の、生い立ちから今後の展望までお話し頂きました。
人生初めての本格的なお仕事がこの業界でした
―――Iさんには、いつも広告でお世話になっていて。時には助けていただいて……。
(I氏)いきなり、そう言われるとボクがいい人みたいじゃないですか(笑)それは誰に対しても……というワケではないですよ。代理店さんをはじめ、その人が日ごろどういう姿勢で仕事をされているのかというところで見ているんです。だから、良い人とは“お付き合い”で広告を入れるところもあれば、むしろ真逆の態度を取るところもある。
―――そうなんですか?
(I氏)日ごろ、仕事がいい加減な人だったら、数字次第で付き合いを切る場合もありますよ。もちろん、それは事前に「自分はこういう姿勢でお付き合いを決めますよ」、「どういう姿勢で仕事をすれば、うちから契約をもらえますよ」という意思を見せるようにしていますよ。たぶん、ボクが求める営業マンの仕事のスタイルは、どこのお店さんにとっても喜ばれるスタイルだと思うし、結果営業マン自身の成績も上がると思うんですよ。ボクは営業マンに対して厳しいことを言っているのは分かるけど、コチラに都合の良い事だけを言っているつもりは無いんですよ。そうやって仕事していれば数字が伴わなくても、頑張りは評価されるはず……そういう世の中じゃないと生きづらいじゃないですか?それがお店の経営や方針に重なるところがある。実際そうしていれば数字はついてくる。
―――なるほど。そのようなお話はおいおい詳しく伺います。ところでIさんは、この業界に入る前のお仕事って、なにをされていたのですか?
(I氏)学生です。
―――学生さんだったんですか?
(I氏)正確には学校に通いながら、ですね。知人が今のお店の前身となるお店を運営していまして。それで人手が足りないのでお手伝い、いわゆるバイト的に携わったのが最初です。ただ、その時は自分が大学を卒業するまでという期間を決めてのものでした。就職の内定も出ていたし、就職するまでと決めていました。だから、最初は学生時代のアルバイト感覚で1年位で辞めるつもりだったんですよ。
―――それでは、学生時代は他のバイトは……。
(I氏)それがほとんどしていないんですよ!(笑)そもそも大学に入学してサークルに入って、「合わない」と思って1日で辞めて、そこから雀荘に入り浸るという(苦笑)。時代的に学校の周囲には雀荘がたくさんあったもので……。それで、風俗店のバイトにしても、当時の自分は女性と話をするのが苦手という感じで。「こういう仕事で慣れろ」っていうことで、知人に誘われたんです(笑)
―――初めてちゃんとバイトしたのが風俗店スタッフというのもすごいですね。それで、大学卒業までと決めていた業界の仕事ですが…卒業されてからは?
(I氏)一ヶ月だけ就職したんです。だけど、知人からほぼ毎日のように戻ってきてアピールがあったり…何よりも一般の会社よりも、この業界で仕事をしている人の方が魅力的に見えたんですよ。サラリーマンやっていて、「人生かけて仕事する!」って感じの人がいなかったんですよね、上司にも同期にも。でも、この業界で働いている人の多くは「この仕事で一旗あげてやる!」という人ばかりだったから。「これに人生賭けてる!」って人が魅力的に見えました。その時、自分自身がこの会社でずっと頑張っていくか迷っている時期で。それだったら、もう一度風俗業界に戻って手伝いながら、他の仕事を探そうかなって。だから、戻った時は知人に「1年間だけ手伝う」って言ったんですけど…それで今日に至って、もう42歳ですからね。キャリアが長くなりました(笑)
―――ずっと同じお店ですよね?
(I氏)そうですね、そのお店が今のお店のベースになっているので、20年前のことですけど、今の風営法になる前の時代でした。
あの浄化作戦の時の話が、今のお店誕生の秘話です。
―――それって、いわゆる歌舞伎町浄化作戦の時ですよね?その時の様子はいかがでしたか?
(I氏)あの頃は毎日、「どこのお店に警察が入った」、「〇〇というお店が今日は店を閉めている」という話ばかりが入ってきて。店に警察が来たのは最後の方だったんですね。おそらく歌舞伎町の一番街とか中央から指導が入って、うちのお店は歌舞伎町の端っこだったから指導が最後の最後で。一つ、また一つと周囲の店が閉まっていき、その影響だと思うんですけど…歌舞伎町で風俗遊びをしてたお客様が、遊ぶお店が減ってしまったためか一時的に忙しくなりましたね。
―――対策とか…あったんですか?
(I氏)いや、「どういう対応をすれば良いのか?」、「何が悪いのか?」ということが分からないので、様子を伺うしかなかったんですよ。だからAというお店に警察が入りましたといったら、何がいけなかったのか?お店のドアを開けて営業していたのがいけないのか?営業時間がいけないのか?それとも看板がいけなかったのか?そこら辺がわからないわけです。
―――何がなんだか分からないうちにお店がドンドン減っていったと?
(I氏)そうですね。現在のようにお店に顧問弁護士さんがいたり、顧問税理士さんがついているケースはまれだと思いますので、何が良くて悪いのか分からなかったんですよ。結果として、警察から「届け出を出してください」となって。そうすればお店を続けられるのかと思っていたら、知人が「法が変わるんだったら、今後業界もどうなるか分からない。だから別の事業をやろう」と思ったらしいんです。それがボクの今のお店開業のきっかけです。
このように学生時代からこの業界に関わっていたI氏。単なる巨乳専門店ではなく、そこに痴女要素を加えたり、マニアックなコンセプトを掲げたりと、業界でアイデアマンっぷりを発揮していますが、その考えの源になっているものは?その点についてお伺いします。
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新宿歌舞伎町の巨乳専門店 I氏
大学在学中に今のお店の前身となるお店に、知人の誘いでアルバイトを始める。それから大学卒業後一ヶ月だけ一般企業に入社するも、働く人の熱意に温度差を感じ、すぐに風俗業界に戻ってくる。20年以上も歌舞伎町で営業を続け、お店のコンセプトも、I氏自身の信念もブレることなく貫く姿勢が長年営業し続ける重要なポイントなのだろう。風俗一筋で生きてきたI氏の今後の展開に注目したい